「家族」タグアーカイブ
見てる。
いなり、ソファの背もたれでまったり。
いなり、どアップ写真
いなり、5歳の誕生日
本日10月28日は、我が家の“三代目次女”である<いなり>の誕生日。
元野良猫で、保護主さん宅での半年ちょっとの家猫修行を経て我が家の子になったいなり。保護された時の獣医さんの診察などから、うちに来た日を2歳の推定誕生日と決めた。
それから3年。
元々おとなしい穏やかな性格だが、5歳になり、ますますまったりしてきた(笑)
今日は暖かかったので、リビングの窓際においてある猫ベッドでお昼寝していたよ。
誕生日なので、ちょっと贅沢して猫缶をあげた。いつもカリカリでもわがまま言わずよく食べるんだけれど、さすがに缶詰だと食い付きがいい。
事務所の秘書業務もそつなく遂行している。
図面を描くのを邪魔する簡単なお仕事や、
これからものんびりまたっりと元気でいてね、いなり。
にゃあ、三回忌
にゃあ、一周忌
9月30日。我家の二代目次女〈にゃあ〉の一周忌。行年16歳の大往生で亡くなってから早一年か。
都合により、墓参りは去る21日に行ってきた。
今まで結婚前の実家での時も含めると色々なネコさんと一緒に暮らしてきて、もちろんみんな最高に可愛かったけれど、一番長く一緒だったにゃあとの想い出は格別だ。
君は愛嬌があり美人さんで、お客さんがみえても人見知りせず、むしろ自ら近寄って何かしゃべりながら愛想を振りまいていたね。
君のそのあたたかさは、家族や君を知っている皆さんの内にちゃんと残っている。
君が見守ってくれているおかげで、三代目次女の〈いなり〉も、元気で穏やかに過ごしています。
にゃあ、これからも見守っていてね。
かわいいか、かわいくないかが命の分かれ目……?
ツイッターで「かわいいか、かわいくないかが命の分かれ目」みたいな一文が目に付いた。某県の動物保護団体のサイトの文章からの引用のようだった。
この一文だけを拾って持論を展開するほどの馬鹿ではないし——そもそも、そういう論客でもないのだけれど——この機会に、いなりを迎えた顛末をちょっとだけ、綴ってみる。
いうまでもなく、イヌ、ネコにも命はある。虐待事件は論外だが、行政殺処分なんかもなくなって欲しいと切に願うが、自分では特になにも行動を起こしていない。
いわゆる「野良犬」は見かけなくなって久しいが、「野良猫」は家の近所でも散見する(「地域猫」という言い方は詭弁のような気がして、個人的には好きではない)。不幸な野良猫を減らそうと、保護したり、増えないように避妊・去勢手術をしているボランティアさんもたくさんいらっしゃるようだ。
現在我家にいる〈いなり〉も、そういうネコの保護活動をされている方からのご縁で、我家の子として迎えた。
で。冒頭の「かわいいか、かわいくないか」とは、どういう意味なのかが解らなかったのだ。外見の愛らしさ? トイレを覚えないとかわいくない?
俺はネコ好きなので、どんなネコでも可愛くみえる。
いなりを見つけたのは、保護主さんのWebサイトだった。「おだやかでおとなしくいい子なんだけれど写真映りが悪いので、なかなか里親がみつからない」との事。
確かにちょっと藪睨みで、現在でも写真を撮ろうとすると嫌な顔をするが(笑)、俺は、そのWebの写真で一目ぼれ。当時はまだ先代の〈にゃあ〉が存命だし、いなりは家猫訓練中で里親募集はしていなかった。それに二頭は飼えないなと思っていた……という矢先ににゃあが16歳で他界。その直後に、あの子が里親募集サイトに掲載されている!
すかさず保護主さんにアポをとり、ご対面。もう、運命を感じたというか、にゃあの「さびしがらないで」という導きというか、そんな気がして、いなりを引き取った。当時推定2歳。
保護主さんには「子猫は比較的早く里親が見つかるが、大人猫を希望している人の方が信用できる」と言ってもらえた。まぁ、俺自身は一目ぼれしただけで、そんなに深く考えてはいないんだけどね(笑)。
行政殺処分に持ち込まれる動物に「飼えなくなった」というのが意外に多いらしい。そんなやつは最初から飼うな! と言いたい。俺はネコしか知らないが、一緒に暮らすと家族だよ。家族の面倒は最期までみようよ。
現在が幸せかどうかは、いなりにしか解らない。残念ながら人間とネコでは言葉が違うからね。
でも、俺なりに最大限の愛情をそそぐ事(と共存のためのしつけ)はしているつもり。
写真映りはブスでも(笑)、君の穏やかで、スリスリゴロゴロ甘えん坊な性格は、家族みんながわかっているよ。
いなり、リビングに馴染む
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1月2日、誕生日を迎えました。
年男一つ前の、丙午だよ。江戸時代ならそろそろ隠居している歳だよ、まったく。
昨年は、ある目標をたててはみたものの、健康状態がそれどころではなかった。けれど、そのおかげで知りあえた人とか、解った事とかも少なくなく、——充実していたなどとは、とても言えないが——それなりに、人生のいち記録点として重要な年だったと思う。
もちろん、反省ばかりの日々だった事に違いないけれどもね。
んまぁ、今年も、家族や友人知人、俺とつながる全ての人への感謝を忘れず、がんばる。