2012(平成24)年9月30日20時55分。愛猫〈にゃあ〉が肝炎と甲状腺疾患で死去した。享年十六(満十五歳)。
↑和室でまどろむ、在りし日のにゃあ。
1997年3月。俺が仕事から帰ると、子供たち——当時、長女が就学間近、長男が2歳——が並んで寝ている枕元にちょこんと座っているネコがいた。
「!?」
「隣の駐車場にいて、『にゃあ、にゃあ』って呼びながら近寄っても逃げなかったから、連れて来ちゃった」
と、嫁さんがいう。
「どうすんだよ……」
とは言ったものの、俺も人一倍ネコ好き。ほんのりシャンプーの香りがするそいつの喉や頭をなでてやると、目を細めてゴロゴロ……。
「おとなしい子だね。3ヶ月くらいかな?」
「〈たま〉の時のトイレを出して、連れて行ったら、ちゃんとそこでしたんだよ。良い子だよ」
たまは、以前飼っていたネコ。
「ちゃんとしつけられていたんだね。どこかからの迷い猫かもしれないね」
「もし、飼い主さんがみつからなかった、うちで飼ってもいい?」
そういって、家族三人が俺の顔を見る。
「『にゃあ』って呼んだら着いて来たから、名前は、にゃあだよ」
「もう……良いも悪いもないだろ……」
実は、特に迷い猫を保護している旨の広告などもせず、にゃあはそのまま我家の家族になった(笑)。
基本的には室内飼いだが、社宅住まいだった時は、1階だったので、よく脱走した。若い頃は木登りとかもしていた。
十歳をすぎた頃から、あまりうごかなくなり、まったり暮らす事が多くなった。年寄りネコもまったりしていて和む。
とにかく、まったく人見知りをしない子だった。庭によそのネコが来ると、——網戸越しに——半端じゃない威嚇をしていたし、自分を人間だと思っていたのかもしれない(笑)。
お客さん(もちろん人間の(笑))が来ると、逃げる事なく近寄っていく。ネコ特有のツンデレ感は比較的少なく、人懐っこかったな。特に「ネコ好きさん」が来た時は、ずっとそばで一緒にいた。
そして……。
昨年8月に、急に食欲がなくなり病院で診てもらったら、肝炎との事。それから毎週、皮下点滴と注射に通院、投薬治療を続けて来た。
しかし、病状は良くも悪くもならず。ガリガリに痩せて、辛うじて生きている感じ。このまま薬漬けで生かしてもいいのか? 家族で話し合い、今年9月初旬、約1年間続けた通院・投薬治療をやめた。
(通院・投薬をやめたのが良い事なのか悪い事なのかはわからない。にゃあが日本語を話しての自己主張ができない限り、どちらにしても人間のエゴだと言われればそれまでだ。だが「我が家族がこの決断をした事」そのものについては異論は認めない)
薬を飲ませるのをやめた後の半月は、よく食べた。体重も少し回復し、顔や腰がふっくらしてきた。妙に元気が出て、システムキッチンの上に飛び乗り、家族の晩御飯の肉を食ったりしていた。
ここで「病気が良くなった」とは思わなかったが、素人ながら、薬が抜けたのかな、とは思った。
だがやはり、徐々に衰弱していく事は目に見えてわかった。
そして9月30日。何も食べなくなって3日目。この日の昼には、水も飲まなくなった。
それでも、フラフラになり何度もへたりながら、家中を歩き回っている。餌を水で溶いたものや、牛乳を薄めたものをスポイトで飲ませると、少しだけは含むが、いやがる。甲状腺が悪化して、喉がつらいのだろう。夕方には、呼吸も荒くなって来た。
「もう、今日明日、だね……」
相変わらず時々フラフラと歩くが、もう好きなようにさせてやった。
顔を洗おうと洗面所に行くと——そこに置いてある——ネコトイレの入口前が濡れている。にゃあ、最後の最後まで、自分でトイレに行こうとしたんだね。偉いぞ。
19時くらいだったかな。寒い時に入って寝るキャリーバッグ、洗面所の足拭きマット、玄関、和室、居間のソファの後ろ……。まるで自分のお気に入りの場所を巡回しているようだ。
20時30分過ぎ。ソファの裏から出て来て、俺のそばに来た。いつもは、そのまま俺の腹の上を乗り越えて、隣に落ち着くのだが、もう、それすらできないようだ。
軽くなったにゃあの体をそっと抱えて、ソファの隣に寝かせてあげた。
それから十数分後、にゃあは、眠るように、静かになった。
にゃあ、君と暮らした15年余りは忘れない。紛れもない、大切な家族です。
安らぎと、楽しさをありがとう。
にゃあ、我家での暮らしは楽しかったですか?
最後になりましたが、まっさきにFaceTimeで弔問してくれた兄貴、ツイッターやメールでお言葉をいただいた皆様、にゃあをかわいがってくれた皆様、厚く御礼申し上げます。
コメント
遅ればせながら、数年前妹が貰ってきた捨て猫に去勢手術をし、現在は実家で父とともに過ごしている家猫がいる身ととして。
にゃあさんに、心よりお悔やみ申し上げます。
Yuseumさん江
ありがとうございます。
もちろん、寂しくて悲しいですが、覚悟していたので、不思議と、後をひきづってはいません。
楽しかった日々を思い出して、家族で笑ってますよ。
師匠、
よく話をきいてた「にゃあ」だけに、とても寂しい限りです。
心からお悔やみ申し上げます。
きんぐぴんほーるさん江
ありがとうございます。
そういっていただけて、にゃあも喜んでいると思います。
すっかりご無沙汰していて、すみません。
言葉もありませんが、いつまでも、時々、思い出してあげてくださいね。いや、思い出しちゃいますよね。
ずっと可愛がってもらって、幸せだったと思います。そう思えるのが飼い主にとっても一番幸せ…かな。
(余談で恐縮ですが、うちのボタンインコゆずも、一昨年16歳で天寿以上を全うしました。幸せにしてくれましたね、おいらのことも…相変わらずコメント下手で申し訳ないっ!)
ponsukeさん江
ごぶさたしております。ゆずさんも亡くなったのですか。飲み会の時に、ぽんさんが「もう年寄りだから面倒観ないといけない」とゆずちゃんを心配して先に帰っていたのをおぼえています。
大往生だったのですね。それはきっと、ぽんさんの愛情に包まれて平和に暮らせたからですね。
にゃあへのお言葉、ありがとうございます。
もちろん悲しいですが、ペットの方が短命ですから、しっかり看取るのも飼い主の義務だと思います。不慮の事故ではなく、最後の1年半は病を抱えながらも15年生きてくれたのですから、天に感謝です。
えぇ、忘れませんとも。一緒に暮らした家族ですから!