万年筆を2本持っている。
しばらく使わずしまってあったのだが、探し物をしている不意に目に入った。
もっとも、この引き出しにしまってあるのは承知していたけど。
2本ともある知人からいただいた物だ。
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俺が中学1年の頃。エイチさん(仮名)がすぐ近所のアパートに引越してきた。10歳くらい上だろうか。文学青年の見本、みたいな風貌の人で、うちに挨拶に来た時にも、俺の好きな作家の話とかをして盛り上がった。
すぐに意気投合し、俺は頻繁にエイチさんの部屋へ遊びにいくようになった。その頃に物書き趣味が始まった俺は、同人誌を主宰しているというエイチさんに、とても興味を持ったのだ。
中学2年に進学の時、お祝いにと万年筆をいただいた。
銀色で本体からペン先までが一体になっている形状で、なんとなくSFっぽい洗練されたデザイン。
「SFっぽいだろう。君に似合うと思って」
同じ事を言われて、嬉しかった。
知り合って1年近くたったこの頃には、実はエイチさんはエス会の信者だというのは気づいていた。
でもエイチさんは、これまでの間、俺を勧誘する事はなかった。
うちの近所にはエス会に入っている人はたくさんいたみたいだし、俺自身は興味もないので、相手がどうあれ関係ないとは思っていたいが、やっぱり、心のどこかでは不安はある。
だから、あえてその話題には触れないようにして接していたが、一度気になり出したらダメだ。ウダウダするのは嫌だし、ふとした事で引き込まれるかも知れないと思い、思いきって訊ねてみた。
「エイチさんは、エス会なの?」
「あぁ、そうだよ」
それだけで、会話は一旦終わった。
無言でテレビをみていると、数分後に、エイチさんが言った。
「興味、あるか?」
「え?」
「エス会に、興味あるか?」
どう答えようか迷っていた。うかつに答えて、言葉尻をとらえられるのも嫌だ。
「俺は……エイチさんの……同人誌の手伝いしてるのが好きで、それだけだよ」
「そうか。じゃ、誘うのはやめよう」
「……」
「俺は、エス会は素晴らしいと思っているが、それは俺自身のため。宗教活動で人の幸せを願うってのがあるけどね、俺は違う。自分の寄りどころとしているだけだ。あまり良い信者とは言えないのかもしれないけどね」
ちなみに、実際、その後も一切勧誘された事はない。
そのすぐ後、俺も、エイチさんが主宰する文芸サークルに、正式に参加させてもらうことにした。
サークル活動は、俺が高校2年生の頃エイチさんが転勤で引越するまで続いた。
解散の時、試行運用を始めたばかりの、パソコン通信でのメンバー連絡用BBSホストマシンの引き継ぎを頼まれた。
その時に、エイチさんから新しいペンネームをいただいた。
エイチさんは、古ぼけた万年筆でさらさらと「日向夢想」と書き、俺にくれた。
「ひなた、むそう……?」
ゆめまさ、と読ませよう。
『正夢』ってのは、『見た夢が現実におこる』ってことだろ?
その反対、というか、正夢を自らおこせ。
『現実に通じる夢を見ろ』ってな意味かな。
『夢正』じゃ字ヅラが変だから、当て字で『夢想』
『ゆめをおもう』ってことで、まぁ納得しろや。
その時の万年筆も手渡された。エイチさんからいただく2本目だった。
「使いにくいとは思うけど……」
ふるぼけた万年筆は、なんか機構的にも俺の知らない妙なものだった。
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今日、久し振りに、SFっぽいほうの万年筆にインクを入れてみた。
エイチさんに手紙でも書いてみようかな。
本当は古ぼけた方でも書いて見たかったのだが、これはカートリッジが使い捨てじゃなく、スポイト式なので、瓶インクじゃないとダメなんだ。近所のスーパーには売ってなかった(もっとも、パーカーのインクなんか売ってなかったが(笑))。
※2割くらい脚色してます(笑)。
コメント
びといんさんのルーツがここにあるわけですね。
俺は万年筆持ってないのですが、中学進級のときに叔父にもらったシャーペンを持ってます。
なんか特別な大人びたプレゼントをもらうと自分が大人になったような気がして嬉しいですよね。そんな気持ちを思い出しました。
こういう、大人の兄さんが近所にいて、面倒見てもらって、大人の世界を垣間見て、ってのがありましたよね。懐かしいような、羨ましいような、いいお話です。
マンガーさん江
少々脚色してますけど、物書き趣味を意識した切っ掛けという点では、この辺りがルーツですかね。
でも、実をいうと当時は万年筆もらってもどうしたもんだか困りましたよ(笑)。
少佐さん江
エイチさんには多大な影響を受けましたね。
何気ないエピソードばかりですが、その後の事も書いてみようかと思います。