オヤジ

 なぜだろう。
 楽しかった事だけを思い出す。

 踏切が閉まり電車が行き来するのを、何度も何度も、何時間も、同じ場所で見た。
 ケロヨンやデンスケの公演を見るために、何時間も並んだ。
 散歩の途中、空き瓶を1本ずつだけ拾って、公園で洗って酒屋に持っていく。引き換えにもらった5円ずつ。駄菓子を買って、食いながら土手に向かった。

 あの頃俺がオヤジからもらった楽しさみたいなものを、今、俺は、自分の子供たちに与えてやっているだろうか。
 たぶん、できていないだろう。

 でも、毎日、子供たちの寝顔を見ると、やっぱり、こいつらは守らねば、と思う。
 そんな気持ちで生きている。

 家庭を顧みず、オフクロに苦労ばかりさせたオヤジは、大嫌いだ。
 だけど、なぜだろう。
 楽しかった事だけを思い出す。

 5月には、三回忌を迎える。

コメント

  1. 少佐 より:

    私は両親は健在ですが、母方の祖父母に対してやはり楽しいことばかり思い出します。
    苦しい事もたくさんありましたけど、思い出すのは楽しいことばかり。なんででしょうね。

  2. てりこ より:

    どんなに生前行いが悪くても、亡くなると皆仏様になります。
    だから悪く言う人っていないんですよ。
    いい思い出や楽しかったことしか思い出さないのはそういうことだから。
    思い出してあげる事が、一番の供養です。

    って、学校の先生(坊さんだった)がお話ししてくれました。

  3. びといん より:

    少佐さん江
     言葉が悪いですが、もはや亡くなってしまったものはしかたないですから、悪い事を思い出してもしょうがないってことでしょうかね。

    てりこさん江
     なるほど。
     たくさん思い出してあげることにします。
     いいお話をありがとう。

  4. マンガー より:

    一緒に暮らしてたときは何度も「こんちくしょう」って思ったりすることもあったんだけど、離れて暮らすと楽しかった思い出や親父の笑顔を思い出しますね。
    会おうと思えば会えるだけ俺は幸せですね。
    ということを再確認できた記事でした。

  5. agrico より:

    自分の心の状態に応じて、思い出すことが違う角度からのものになるんだと思います。
    だから、同じ一時期でも、ある時はその苦しいこと、ある時はその哀しかったこと、またある時は、一転して輝くような思い出になったりするのではないでしょうか。
    ちょっと言うのも恥ずかしいのですが、それに気づいた時に、人は今と未来だけじゃなくて、こうして過去も変えられるのだと思いました。
    私もいつか親父が、優しい眼差しで決して笑わなかったけれど笑顔で思い出に現れてくれるのを待ってるんですよ。

  6. びといん より:

    マンガーさん江
     もちろんご両親が健在であることが一番ですが、まぁ、亡くなった後の付き合い方みたいなものも、味わいがあるような気がします。
     いや、俺は偉そうな事いえる男じゃないですが。

    agricoさん江
     そうですね。その時々の自分の感情でしょうね。
     あぐりこさんも優しい方ですから、すぐに笑顔のお父さんが現れると思いますよ。