1966

 昨日、父の事について書いて、その恥ずかしさついでに、過去に書いた詩でもアップしようと思い、探したけど無い。
 武田鉄矢さんも、「親父の事は唄にしにくい。「おふくろの味」は覚えているが、「おやじの味」なんて、なんか気持ち悪い」と言っていたっけ。
 そうなんだよね。
 で、やっと発掘した、親父の事を書いた詩。この、親父への唯一の詩が、悲壮な内容じゃなくてよかった(笑)。

 では、その一遍を含むミニ詩集「1966」を、恥ずかしながら、公開。

 abstract-web:詩蘭堂:1966

コメント

  1. すしバー より:

    続1966の方は、読んだまんま、お父さんのことなんですけど、
    私は1966の方がより、父親を感じました。
    実際どうだかわからないけど、お母さんと、子供の写真を撮影していたのがお父さんだったら、なぜ、そんななんでもない光景を写真に収めたいと思ったのか?
    そんなこと考えると、なんだかうれしくなってしまうような感じがしましたよ。

  2. びといん より:

    すしバーさん江
     読んでいただきありがとうございます。

     公開のタイミングからして紛らわしかったですね。
     えー、「1966」に出てくる写真を撮影したのは親父ですが、そのセリフ部分は「1966」も「続1966」も、お袋のセリフです(笑)。
     最初のタイトル案は「母に捧げるセレナーデ」だったんですが、やばいのでやめました(笑)。

     しかし、俺は、威勢がいい肝っ玉の座ったお袋に対して、父親的部分も感じていたのかもしれませんね。それをすしバーさんは的確に読み取ったと。
     うーむ。

  3. すしバー より:

    ああ、いやいや、
    その写真を撮っているお父さんの姿が、なんだか楽しそうに想像できたんですよ。
    やっぱ、なんらかの思いがなければ写真って撮りませんから。

  4. びといん より:

     そういうことですね。
     了解です。
     うん、たぶん楽しそうに撮ってたんでしょうね。
     俺の子供の時の写真って数枚しかないんですが、そのどれもが、運動会等のイベント時のじゃなく、路地で遊んでいるのとか日常なんですよ。
     少なくとも俺が赤ん坊の頃は、親父も、ちゃんと家庭の事を考えていたんでしょうな(笑)。