クリスマス。今は別に好きでも嫌いでもないが(なぜ皆が浮かれるのかは謎だが)、子供の頃は、クリスマスって、ちょっと嫌いだった。
サンタクロースは「仮に信じていても、来ない家には決して来ない」そんな事を、他の友達より早く知っていたように思う。
そんな思い出(?)を、負け惜しみを半分で書いてみる。
子供の頃、親からクリスマスプレゼントなどもらった記憶はほとんどない。しつこくねだったりもしなかった。「チキンライス」を作詞した松ちゃんじゃないけど、俺も親に遠慮していたんだろう。
でも、数日後、ぎりぎり年内には、一応、というかちゃんとおもちゃを買ってもらえた。ここでも「お正月(のお年玉)の分と一緒だよ」と念を押されたけど、やっぱり嬉しかったなぁ。
俺には2歳下の弟がいて、物心付いた頃から、「兄弟は同じ物を。ひとつしか無い物は半分ずつ」と言われ育てられた。それに対しては特に不満はなかったし、良いことだと思う。
しかし、この年末の日は、たぶん1年で唯一、弟と差を付ける事を許される日だった。つまり、俺の方が少し値段の高いおもちゃを買ってもらえた。
実はこれは兄だからではない。年明け早々に俺の誕生日がある。そう、クリスマスとお年玉どころか、誕生日プレゼントも兼ねている訳だ。
1週間程度のうちに3回もプレゼントをやるというのは、当時の我が家の家計状況からするときつそうだというのを、何となく解っていたから、納得はできなかったが、遠慮していた。駄々をこねて、この1回に集約されたプレゼントまで無しにされるような馬鹿なことはしたくなかったし(笑)。
まぁ、少額でもいいから、きちんとそれぞれの日に分けて3回欲しいとも思ったが、お袋は、文字通り「子供だまし」的な行為が大嫌いなので、本音の言動で、しかも、馬鹿親父を充てにせず、パート仕事の給料が出たら即効でおもちゃ屋に連れてきてくれたのだ。
で、正月の三賀日なんて、今と違って近所ではどこも店なんてやってないから(当然コンビニもない)、誕生日ケーキはない。お袋が、おいなりさんとカレーライスを作ってくれて、それと三ツ矢サイダー。それで軽くお祝い。お袋のおいなりさんは旨かった。
この日くらいになると、年も明けたし、誕生日だし、もうクリスマスへの嫌悪も治まっていた。
半年後には、またおもちゃを買ってもらえるんだしね。その時は弟の方が少し高いやつだけど。
ねこぱんち!
→もげきゃっち: 君と僕の真実のクリスマス。
→通勤マンガーZ: 次兄の誕生日
→日本応援地図:お題「心に残るクリスマスの思い出(いい話、トホホな話、何でもOK)」(東京都)(追加2004.12.08)
コメント
私も、ほぼそんなもんです。
お年玉は、親戚がいっぱいいたもんで、けっこうな額もらってたはずなんですけど、現金は全て没収でした。
それがそのまんま親戚の子供にうちからのお年玉として流れるシステムになっておりました。
チキンライス
最初は期待してなかったけど、とっても、感動しました。フレーズのひとつひとつが浮かんできます。松ちゃん良い詩を書くなぁ〜。単にクリスマスソングじゃなくて、色々と思…
すしバーさん江
うちは、一応、およそからいただいたお年玉の没収はされませんでした。
でも、たくさんもらえませんでしたが(笑)。
だいぶ前の記事にTBつけてもらってありがとうございます。読んでもらってるなあという気がします。
俺はこの年でもクリスマスの雰囲気好きなんですよ。町中がきれいに飾り付けられるしね。
小2のとき、弟たちがおもちゃで俺が本だったとき「サンタは俺の好きなものわかってないなあ」と親父にいったら「サンタは母さんなんだ」っていわれてショックだった思い出があります。
「絶対起きてサンタ待つ」っていって寝ちゃったこととかいろいろ思い出しました。
家族の数だけ、クリスマスの思い出ってのはあるんですよね。
この年になると、当時の親の気持ちとかがわかりますよね。
通勤マンガーZさん江
しっかり読んでますよ!
これ、実はマンガーさんのTB先記事を読んだ時に思い付いて、即、ネタ帳(CLIEのメモ機能)にはフレーズを書いておき、記事にまとめる機会を待っていたんです。
当時の親の子立場とかもわかるし、今の自分の子供らもかわいいなぁと思いますね。
子供が小さい頃は、サンタと俺たち親からと、プレゼントを2個おいておくとか、細工してましたが、いつごろだったかなぁ、息子にこんなこと言われました。
「サンタもプレゼントをダイエーで買うのかな?」
「なんで(ドキドキ)」
「だって、サンタにもらったの、お父さんからもらったプレゼントと同じ包み紙だよ」
いやぁ、平和が一番ですわ。ね!
クリスマスに日本で指折りの幸せなガキだった俺
クリスマス近し・・・・・。今年は、子供連れてオモチャ売り場に行って「これ」って指差したもの何でも買ってやろうと思ってた。昔、オヤジが俺にそうしてくれ…