高校の同級生から、メールが来た。
恩師が亡くなったと。
一度も担任になったことはない、教科だけの先生だ。
でも、とてもフレンドリーで、人気があった。
社会科の先生だった。
俺の学年では、師は日本史を教えてくれた。世界史担当の先生からは、「無能なさる」と揶揄された。師は、世界史担当の先生を「北京原人」と称した。
たぶん、打ち合わせがあったのだろう(笑)。
テストの時、赤点ラインが甘かった。それも半端じゃなく甘かった。
赤点ラインは30点だったが、必ず、「○○県の名産を、ひとつ答えよ」という設問があり、それの得点は20点だった。もちろん「○○県」は、決まって、師の出身県だった。
ご冥福をお祈りいたします。
コメント
マジレスになりますが、講師として教え子を持った身として、とても尊敬できる人柄が文章から伺われます。こうして今もかつての教え子に冥福を祈ってもらえる恩師というのは、本当に一握りだと思いますので。
ご冥福をお祈りいたします。
すばらしいなぁ。世界史の教諭と、ネタあわせができてたんですね。
生徒のみならず、教諭同士でもコミュニケーションができてた人だったんですね。
ボクも高校の日本史教師は良い先生でした。
影響をうけ、大学で教職とって社会科教師を目指してたなぁ。
高校の良い教師の基準って「親しみやすさ」ってのが大きいと思います。
卒業後も思い出に残ってるって事は、本当に素敵な先生だったのですね。
ご冥福をお祈りいたします。
少佐さん江
生徒の心を掴むのが上手かったですね。
ところで、講師だったんですか! それも尊敬しちゃいます。
すしバーさん江
技術系の高校だったので、俺ら生徒側にしてみれば、一般教科はいまひとつやる気がおきなかったですから、こういう「怒ってもやらん奴はやらん。だったら多少でも興味を引いてやろう」という教師が多かったですよ。
コンポラ先生みたいなのもいたし(笑)。
genさん江
お!genさんも教師目指してたんですか!きっと良い教師になってたことでしょう。生徒からも「genちゃん」とか呼ばれて慕われたに違いないです。