2003/05/02

1時。待合室の長イスで仮眠をとる。
5時。容態変わらず。母と弟は、一旦帰宅。看病交代。横になって寝ていたのでだいぶ楽になった。
6時、父の呼吸が少し弱まってきた。
父の横でうとうとしていると、当直の先生が来た。
「脈拍の確認をします」
8時を過ぎていた。
「ご長男様。8時12分、死亡確認ということで、よろしいですか」
父、永眠。不思議と涙はでない。
家族へ連絡をする。課長へ電話。
まず嫁さんの母が来てくれる。
続いて、嫁さんと子供たち。そして弟。
母、出かけていていない。携帯も持っていないし、留守電もない。9時過ぎにやっと連絡がとれ、到着。
息子(小三)が心拍計を見て「あれがゼロになってるよ」
家族がそろったので、霊安室へ移してもらう。その間、葬儀社へ電話。11時に迎えに来てくれる事に。
俺と母は、父と一緒にライトバンに乗った。遺族6人と伝えたはずなのに、他の人は歩いて来たという。ワゴンは誰も乗せずに来た。なぜだ!?
葬儀社との軽い打合せの後、着替え等の準備のため、一旦嫁さんと家に戻る。
子供たちは、連休中、嫁さんの実家に預かってもらうことにした。
一旦帰っている間に、弟に詳細を決めてもらった。身内のみで葬儀だけ行う。
皆が帰って●会の幹部連中がくる。友人葬ということで、通夜と告別式で唱えたいと。
母が良いと思うなら、俺と弟は、それに従うが、はっきり言って●会は好きでない。かってにやれ、だ。
23時に寝る。

2003/05/01

父危篤。15時から時間休をもらい、入院中の病院へ向かう。
途中、妻と弟に連絡。
上野で家に電話したら、息子が帰っていたので、家に居て妻を待つように指示。
16時半に、病院に着く。丁度ICUへ移る時だった。
実家近所のEさんのおばさんが居てくれた。昼からずっとついていてくれたという。感謝。
主治医に話を聞く。今夜が峠と言われた。課長に状況報告。明日も休暇をもらう。
17時、弟到着。
18時、嫁さんの母到着。
18時半、外で携帯の電源を入れると、嫁さんから留守電。折り返し家にかける。携帯を無くしたのでメール見られず留守番していたらしい。
できるだけ早く来て欲しいと指示。
20時15分、嫁さんと子供たちが到着。
差し入れのおにぎりを皆で食べる。
父は、相変わらず、昏睡状態。
21時、嫁さんと子供たちは義母とともに嫁さんの実家へ。明日の学校は休ませた。
21時半、親父の店の出資者のGさんが来てくれた。
おだやかに笑う「おとうさん、しずかですね」の言葉に、このGさんは良い人なのだなと、思った。
22時、食料買い出しを弟に頼む。朝まで付き添うのだから。
ずっとパイプイスに座っているので、腰が痛い。

眠くなってきた。先に、仮眠をとらせてもらいます。