大人の社会科見学、サントリー武蔵野ビール工場

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 ユーミンの「中央フリーウェイ」で「右に見える競馬場 左はビール工場〜」と歌われた事でも有名な……と、ベタな書き出しだが、つまりは、先日、府中にあるサントリー武蔵野ビール工場の見学会に行ってきた。
 参加している散歩サークル「ブラ浪漫」の企画によるもの。

※記事中の写真はクリックすると大きく表示されます(最後の集合写真を除く)。

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新宿歴史博物館と新宿御苑に行ってきた

 昨日、東京まち歩きサークル「ブラ浪漫」の忘年ブラに参加してきた。四谷三丁目交差点近くに集合、新宿歴史博物館の新宿御苑〜新宿三丁目という行程。
 会の詳細情報は、ブラ浪漫ログ|2014.12.06 特別編忘年ブラ「新宿歴史博物館・新宿御苑周辺」編をどうぞ。

(各写真は、クリックで拡大表示されます)

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昭和時代の東京の風景〜「でぃすかばー・とうきょう 歩いて見ました東京の街」

 ふと、東武大師線・大師前駅が高架に改築されたのはいつだったっけかなと調べてネット巡回していたら、素晴らしいサイトを発見した。

「でぃすかばー・とうきょう 歩いて見ました東京の街」

 このページは2002年8月12日に86歳でその生涯を閉じた父・田口政典が1960年代から90年代にかけて撮影した変貌を遂げる東京の街の写真アルバムである。最後に撮影してからすでに十年が経過しており、この間にも東京は大きく変貌しているので、東京の歴史に関心がある方にとって価値ある資料となることを希望します。

 との事で、昭和時代の東京の風景の写真がたくさん!
 サイト運営者さんに連絡をとり、ご好意で足立区の写真を一式送っていただいた。田口様、大変お世話になりました。

 全てを紹介したいけれども、そうもいかず。
「東武鉄道路線計画で唯一の遺憾事」だとか「幻の西板線の落とし子」だとか「東武伊勢崎線の盲腸」だとか散々言われているが、愛すべき我が故郷最寄り駅・大師前駅の風景を、許可を得てここに転載します。

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「大師前駅駅舎近景 1968-07-20」
 さすがにこれは記憶にない。日付からすると、環七の着工に伴う路線短縮移転の直前。現在の環七を跨いで南、東武ストア大師前店の前あたりに駅があった頃かな。

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「大師前駅駅前の景 1977-07-24」
 このロータリー。懐かしい!駅舎中央にある「そば屋」は、俺の記憶では「大師らーめん」(西新井らーめんと同じ)だったと思うが、この後らーめんに変わったのかな。
 遠くに東京マリンが!(泣)

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「建替え後の駅舎近景 1986-05-13」
 この風景が一番なじみがある。通学・通勤で毎日利用した。
 ドムドムもよく入ったな。

 俺は赤ん坊の頃から足立区西新井に住み、25歳で結婚し江東区へ移るまでそこで過ごした。
 物的にはけっして豊かではなかったが、活気があり皆一所懸命生活していた。
 今や東武線大師前駅は高架の大きな駅舎になり、西新井周辺は再開発されてどこにでもあるショッピングモールや大規模マンションがそびえ立つ。
 辺境と言われた足立区東部・西部も、つくばエクスプレスや日暮里・舎人ライナーが開通し便利になった。
 そういう大規模開発が悪いとはいわないが、たまに実家へ帰ると、周辺のその変貌ぶりに唖然とするのもまた事実。
 でも、西新井は西新井。故郷である事には変わりないし、現在もそこには昔ながらの息吹がちゃんと残っているはず。
 故・田口政典氏の写真を拝見して、懐かしさはもちろん、そんな色々な事を考えた。

 貴重なお写真をありがとうございました。

 あ、大師前駅は1991年に高架化改築されたそうだ。俺が結婚した年だ。


【ラジオ】第13回 初めての外録

 ねこぱんち統合整備計画ポッドキャスト第13回。
 久しぶりの更新です。今回から、iTunes Storeからの購読ができます。過去分も再編集して再配信しています。
 初めての外録でした。
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【ラジオ】第12回(101004の再配) まち歩きオフ会に参加してきた

 ねこぱんち統合整備計画ポッドキャスト第12回。
 2010.10.04「まち歩きオフ会に参加してきた」を再編集してお送りします。
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砂町もすっかり地元

 ウォーキングのため、いつものように荒川へ出たのだが、花粉症の敵・ブタクサやセイタカアワダチソウが猛威を振るっていて目が痒くてどうしようもなくなり、いつもの河川敷遊歩道をやめてそそくさと堤内(堤防の住居側)へ転進し、まち歩きに切替え。
 そんな訳で、ふらふらと……いや、颯爽と南砂を歩いていると、元八幡通り商店街へ出た。ついでなので、お参りへ。

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 地元での通称「元八幡様」こと富賀岡八幡宮。近所だが、数年ぶりだわ。
 江戸時代、まだ干潟だったこの地の開拓を始めた頃に八幡様を招致。深川の富岡八幡宮が有名だが、そこへ移転する前の社がこちら。ゆえに元八幡様。由緒正しき社なのだ。もっとも、現在は地味で地元でもひっそりとしているんだけどね。

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 近年(1999年)、この地にゆかりの深い、わが砂町開拓の祖・砂村新左衛門顕彰碑が建立された。
 しかし、いつも思うけど、砂村一族が開拓したのにちなみ砂村(砂村新田)という地名になったのだから、町になる時、本当は砂村町にしなきゃいけなかったんだろな。これじゃ、さかなクンさんをさかなさんと呼ぶようなもので(笑)。

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 境内には、富士塚もある。富士登山がまだ誰でも気軽にという時代ではなかった時に、こうして富士山に似せた小山を作って擬似登山したそうで、都内あちこちにある。ここ元八幡の富士塚は、氏子さんたちが富士山から持ち帰った岩石もたくさん混ざっているそうだ。こういうのを見ると、あらためて富士山は信仰の対象だったんだなぁと思うね。日本人の心のよりどころだよね。

 地元っていいなぁ。
 結婚して大島に引っ越してきてその後隣の砂町へ。合わせて二十二年半。
 荒川区に産まれてから三年で西新井に越してその実家で結婚まで二十二年暮らしたが、途中で二年間を金町の寮に入っていたから、思えば、この地、大島・砂町が一番長く住んでいる。なんか凄いな。