一番古い記憶

 不思議と古い記憶ほど、いい出来事、楽しかった思い出の率が多くなる。

 仕事から帰った父が、玄関で靴も脱がずに「いくか!」と怒鳴る。
 細い身体から発せられたとは思えぬほど、響き渡る声だ。もっとも、安アパートの一室。普通の声でも十分に響き渡るが。
「うん!」
 おかえりなさい、とも言わず駆け寄る俺を抱きかかえながら、父は言う。
「出かけていた俺やかあさんが帰ってきたら、まず、『おかえりなさい』というんだぞ!」
「うん!……おかえりなさい!……行こ!」
「あぁ、行こう!」

 手を繋いで、少し歩く。
 今、地図上で再確認すると、ほんの200メートルくらいの距離だが、当時は数十分歩いたような気がする。

 アパートのすぐ近くに都電(路面電車)が走ってて、夕方か暮れてからか、とにかくそんな時間に、父に連れられて見に来る踏切が大好きだった。

 警鐘が鳴る。
 らんぷが点滅する。
 遮断機が下りる。

「電車が来る事」ではなく「踏切の動き」が好きだった。

 踏切の動きを何度か見ると満足して、アパートに帰る。
 時々、帰路途中で焼き鳥を買ってもらえた。

 共同の炊事場に寄ると、母が「できたよ!」と、コンロから鍋を上げる。

 以上は、たぶん2歳から3歳の時の記憶。
 俺の記憶の中では、一番古い出来事。

 ねこぱんち!
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Tag(s) [記憶][思い出]

コメント

  1. マンガー より:

    なんか「三丁目の夕日」を地でいってますね。
    オレも幼稚園までは県営アパートに住んでて、長屋みたいなとこでしたが家族の距離が近くてあったかかったような。

    子供は踏み切り好きなんですよね。うちの息子もついこないだまで踏み切りにすっげえ興味もってました。知らない子が滑り台降りてきたらかってに「カンカンカン」っていいながら手で遮ってましたから。

  2. びといん より:

    マンガーさん江
     そうですね。昭和40年代ですから、たぶん「三丁目の夕日」よりはちょっと後なんですけど、当時(弟が生まれるまで)の我が家は、正真正銘の長屋を転々としていたらしいです。
     まぁ、貧乏だけど、友達と泥んこになって遊んだり、全然つらくはなかったですね。

  3. すしバー より:

    焼き鳥って、ガキの頃は大人の味でしたよね。
    串に刺さってるのがたまんなくうれしかったりして。

  4. びといん より:

    すしバーさん江
     焼き鳥って、当時屋台だったか惣菜屋店頭だったかは忘れましたが、とにかく、多くの品から選べるでしょ。ガキなので毎回ほぼ決まった物を選んでいたわけですけど。
     それが串で手渡されるっての、うれしかったです。

  5. gen より:

    小道具まで鮮明に記憶に残ってるんですね。
    やはり楽しかった事の方が記憶に残り易いんでしょうかね。
    今思えば些細な事でも、子供の視点で見れば大きな事になりますもんね。
    ボクも家が駅の側だったんで、よく電車見に行ったなぁ。

  6. びといん より:

    genさん江
     もしかしたら、複数の記憶がひとつの出来事としてごっちゃに覚えてしまっているのかも知れませんけど、とにかく、小道具までも覚えてます。
     やっぱり、乗り物を見に行くのは楽しいですよね。今でも。

  7. ponsuke より:

    おかえりなさいの後に「行こ!」って
    何かな〜と思いきや…
    やっぱ男の子は、電車が好きなのかなー。(あ、踏み切りかw)
    なんだかステキですね、手を繋いで一緒に見に行くって。
    コドモの好きなことに、つきあってくれる親って
    有難いっていうか、嬉しいと思うもん、純粋に☆

    それにしても、3歳の記憶ってスゴイです。
    ふと自分は?と考えてしもた。
    トラバしちゃおっかな〜

  8. びといん より:

    ponsukeさん江
     子供の好きなというよりは、たぶん、親父自身も電車好きだったんじゃないかな。若い頃は鉄道に勤務していたらしいし。
     TB、期待してます。
     やっぱり子供の頃からPだったんでしょうか(笑)。